灘甲戦のお知らせ

県民大会準々決勝敗退は残念でしたが、気持ち切り替えて秋に雪辱を期待したい。
灘甲戦の案内は以下の通り

日時:6月16日(日)14時KO
場所:甲南高校G

試合は、12人制もしくは7人制になる予定です。是非ともグランドで応援しよう。

併せて、ラグビーが繋ぐ友情・・・ある大学生ラガーマンから親友へのエール という記事を掲載します。
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どうか、あの男まで届いてほしい。
彼を知ったのは、中学生の時だった。学校は違ったが、同じ学年で、ともに兵庫県にある私立の中高一貫校のラグビー部に在籍していた。最初は顔見知り程度だった。彼は目立ったプレーはないが、愚直なタックルと仲間を励ます熱い声が印象的だった。私たちの関係は、高校に上がって濃密になった。
彼は灘高校に上がった。言うまでもない日本でも有数の進学校だ。灘高ラグビー部は3年生の6月に引退する。そのため、高3の秋にある花園の予選には出られない。そこで彼らの最終目標は、高3の6月にある「灘甲戦」で勝つことになる。その「甲」とは、私が通っていた甲南高校だ。彼らは中高5年あまりのラグビー生活のすべてを、甲南を倒すためにぶつけてくる。60回を超える伝統の一戦は熱く、毎年のように大接戦になる。
私と彼は互いにけがの多い選手だったが、高校3年生になると、二人ともキャプテンになった。交流が増え、キャプテン特有の悩みを話し合ったものだ。私の実家と灘高が近いこともあって、よく食事にも行った。
そして迎えた、二人にとって最後の「灘甲戦」。その前夜、私は彼に電話をかけた。
「ごめん。オレ、けがしとって出られへん」
数週間前の試合で、私はけがをした。灘高とのラストゲームに欠場せざるを得なかった。心底、悔しかったが、彼だけには事前に伝えておきたかった。電話越しに落胆する彼の声を聞きながら、私は涙を何とかこらえた。
「残念やけど、いつか、お前とできたらええなぁ」
彼はそう言ってくれた。私たちは「灘甲戦」で一回も直接対決することなく、高校ラグビーを終えた。
だが、これも運命なのだろうか。私が上智大学に、彼は一橋大学に進学した。両校のラグビー部は、同じ関東大学対抗戦Bグループに属している。大学のプライドが激突する対抗戦で、また私たちは顔を合わせることになった。「お前とやるん嫌やわ~」。そう言いながらも、彼はうれしそうだった。
そして昨年、やっと直接対決がかなった。1、2年生のころはけがやメンバー漏れで実現しなかった分、いつもに増して気合いが入った。上智が掲げてきた目標は「打倒一橋」。彼らを倒すために1年間ハードワークを積み重ねてきたのだ。勝つ自信はあった。だが、最終スコアは19-29。言葉にならないくらい悔しかった。「勝ったけど、やっぱお前は強いわ」と慰めてくれる彼に「来年は勝つから見とけよ」と、強がることしかできなかった。
僕らは最終学年になった。上智の今シーズンの目標は、変わらず「打倒一橋」。私を含め、4年生にとってはラストチャンスだ。一橋にはスポーツ推薦がない。私たちも同じだ。しかし練習環境は、彼らが上をいく。一橋にはラグビー部専用の人工芝グラウンドがあり、隣接するラグビー部専用のクラブハウスには、お風呂まで完備されている。一方の私たち上智は、人工芝グラウンドはおろか、学内に専用のトレーニング施設もない。さらに、上智のラグビー部には一橋の受験に失敗して入学してきた者も少なくない。そういう意味でも、絶対に負けられない相手なのだ。
だが、その一橋という壁は、上智の前に過去10年に渡って立ちはだかっている。1年生のとき、一橋に負けた後、当時のキャプテンが「お前ら、4年になってからじゃ遅いぞ」と泣きながら説いたのを鮮明に覚えている。だから、下級生のころから準備をしてきた。今年勝てば、歴史を変えられるのではないか。昨年の比ではなく厳しくなった練習に打ち込みながら、そんな思いを強くしていた。
そして、この4月にあった対抗戦Bグループセブンス大会。試合前、偶然にトイレで出くわした彼に、いつものように私から話しかけた。
「オレ、ほんまはけがで出えへん予定やってんけど、メンバーに欠員出たから、急遽メンバー入りしてん」
「なんでそんなこと、俺に言うてくれんねん」
「いや、お前やから言うんやんか」
すると彼が切り出した。「じゃあ、とっておきの情報を……」
「オレ、また前十字(靭帯)やってもうた。もう、お前とはできひんわ」
一瞬、頭が真っ白になった。ひざの前十字靭帯断裂からの復帰には、最短で半年、長くて1年以上を要する。以前痛めた古傷を、またもやってしまったらしい。しかも、出会う1週間前の出来事だという。大学4年のこの時期では、2度とプレーできずに引退という可能性も高い。昨年末、私の実家を訪れ「来年は絶対勝つからな」「いやいや、来年も勝たせてもらうわ」。そう言いあったばかりだったのに……。
驚きを隠せなかったが、なんとか励まそうと、私は口を開いた。
「手術せんでも、保存(療法)でいけるやろ!!」
「いや。もうオレ、ええかなって思ってる」
その後、いくら前向きになれるような言葉をかけても、彼の表情は曇ったまま。そんなことは初めてだった。いつも熱い言葉で仲間を励ましている彼とはかけ離れた姿だった。
オレの親友、葛淳一よ。どうか、あきらめないでほしい。確かにいま、お前は苦しみの底にいるのかもしれない。孤独で悶々とした日々が続いているんだろう。だけど、幾多のけがから逃げず、その度に手術やリハビリに耐え、復帰してきた私たちの関係だ。4年間のラストはグラウンドの上で、会いたい。どうかもう一度、前を向いてほしい。
「神様は、乗り越えられる試練しか与えへんよ」
(上智大学ラグビー部4年、中矢健太)

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