中高のあゆみー1

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1、各校の創部
明治43年9月23日、京都で慶応の選手の手ほどきを受けた有志が、日本第二のラグビーチーム、第3高等学校ラグビー部を創設し、明治44年4月8日、慶応と3高が国内チーム同士の最初の国内試合、第1回定期戦を行った。
明治44年、関西の仏門である西本願寺の連枝大谷光明が3高の誘いで錦華殿クラブ創設。

明治44年11月、同志社大学が創部、明治45年1月、大学同士の第1戦、慶応対同志社の試合が行われた。
同年京都1中、大正2年同志社中、大正3年京都1商、大正8年大阪高商と創部され、ラグビーの中心は関西に移った。大正7年早稲田、大正10年、近代ラグビーの育ての親、香山藩が東京帝大ラグビー部を創設。
3高時代の名コンビ谷村敬介への香山の働きかけにより、京都帝大の安達士門の下に集まった柔道、剣道、野球の猛者たちの天狗クラブが、大正6年頃から神戸外人クラブ、3高、京都1中などと試合を続けた。
対象11年、京都帝大ラグビー部が正式に承認。
同年には大阪高校創部。大正12年、1高、神戸高商。大正13年南郷茂治先生出身の成蹊、大阪外語そして大正14年から昭和の初期にかけて浦和、甲南、姫路、2高、高知、水戸、浪速、5高、成城(昭和3年)と旧制高校のラグビー部が相次いで産声を上げた。
日本ラグビー史(昭和39年発行)には「甲南高校も同じころ、東京成蹊とともに7年制高校として特異な存在だったが、京大の進藤、平生はここの出身である。」

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