中高の歩みー3

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旧制高校ラグビーの歩み
大正7年、現在の全国高校ラグビー大会の前身となった日本ラグビーフットボール大会が大学も中学も混合参加で始められた。
大学と中学が同一大会で試合をするのは不合理であると、大正9年分離された。
さらに大正14年、大学、高校、高専校の大会も不合理であるということになり、京都大ラグビー部主催のもとに、大正15年、第1回高専大会が開かれ3高が優勝した。
その後、旧制高校としては昭和3年の第3回に大阪高校が優勝し、昭和17年、第17回は九州と関西の2地区に分かれて開催し、関西大会では甲南が優勝した。
昭和4年にセブンの高校大会が開かれた。
高専大会は大阪高校優勝以降、立教予科1回、東高師範2回、明大予科3回、早稲田学院4回、同志社予科1回、慶応予科2回と予科の優勝が続いた。
関西勢では関学が準優勝2回である。
甲南は兵庫県予選で昭和7年から決勝に進出し、昭和12年以降水害の昭和13年の準優勝を除き、幕を閉じる昭和17年まで連覇した。
旧制高校同士の各種競技会、インターハイは古い歴史を持つ。
しかし、ラグビーは対抗戦方式を重視したことと、高専大会があったため、インターハイとしては昭和17年に第1回が行われ、成蹊を破った甲南が優勝した。

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